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一 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば 角(かど)が立つ。 情(じょう)に 棹(さお)させば流される。意地を 通(とお)せば 窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが 高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと 悟(さと)った時、詩が生れて、 画(え)が出来る。 人の世[#「人の世」に傍点]を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒 両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世[#「人の世」に傍点]が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなし[#「人でなし」に傍点]の国へ行くばかりだ。人でなし[#「人でなし」に傍点]の国は人の世[#「人の世」に傍点]よりもなお住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、 寛容(くつろげ)て、 束(つか)の 間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が 降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を 長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが 故(ゆえ)に 尊(たっ)とい。 住みにくき世から、住みにくき 煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、 画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに 云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も 湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも ※鏘(きゅうそう)の 音(おん)は 胸裏(きょうり)に 起(おこ)る。 丹青(たんせい)は 画架(がか)に向って 塗抹(とまつ)せんでも 五彩(ごさい)の 絢爛(けんらん)は 自(おのず)から 心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく 観(かん)じ得て、 霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに 澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め 得(う)れば 足(た)る。この故に 無声(むせい)の詩人には一句なく、 無色(むしょく)の画家には 尺※(せっけん)なきも、かく 人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく 煩悩(ぼんのう)を 解脱(げだつ)するの点において、かく 清浄界(しょうじょうかい)に 出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの 不同不二(ふどうふじ)の 乾坤(けんこん)を 建立(こんりゅう)し得るの点において、 我利私慾(がりしよく)の 覊絆(きはん)を 掃蕩(そうとう)するの点において、―― 千金(せんきん)の子よりも、 万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の 寵児(ちょうじ)よりも幸福である。 世に住むこと二十年にして、住むに 甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は 表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の 今日(こんにち)はこう思うている。――喜びの深きとき 憂(うれい)いよいよ深く、 楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。 片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが 殖(ふ)えれば 寝(ね)る 間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を 支(ささ)えている。 背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば 飽(あ)き 足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。…… 余(よ)の 考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の 右足(うそく)は突然 坐(すわ)りのわるい 角石(かくいし)の 端(はし)を踏み 損(そ)くなった。 平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した 左足(さそく)が、 仕損(しそん)じの 埋(う)め 合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく 方(ほう)三尺ほどな岩の上に 卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が 腋(わき)の下から 躍(おど)り出しただけで、幸いと 何(なん)の事もなかった。 立ち上がる時に向うを見ると、 路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が 聳(そび)えている。杉か 檜(ひのき)か分からないが 根元(ねもと)から 頂(いただ)きまでことごとく 蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに 棚引(たなび)いて、 続(つ)ぎ 目(め)が 確(しか)と見えぬくらい 靄(もや)が濃い。少し手前に 禿山(はげやま)が一つ、 群(ぐん)をぬきんでて 眉(まゆ)に 逼(せま)る。 禿(は)げた側面は巨人の 斧(おの)で 削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に 埋(うず)めている。 天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ 判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い 毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる 難義(なんぎ)だ。 土をならすだけならさほど 手間(てま)も 入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は 平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。 掘崩(ほりくず)した土の上に 悠然(ゆうぜん)と 峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る 景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。 巌(いわ)のない所でさえ 歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が 窪(くぼ)んで、まるで一間 幅(はば)を三角に 穿(く)って、その頂点が 真中(まんなか)を 貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を 渉(わた)ると云う方が適当だ。 固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと 七曲(ななまが)りへかかる。 たちまち足の下で 雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を 見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと 忙(せわ)しく、 絶間(たえま)なく鳴いている。 方幾里(ほういくり)の空気が一面に 蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く 音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた 揚句(あげく)は、流れて雲に 入(い)って、 漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の 裡(うち)に残るのかも知れない。 巌角(いわかど)を鋭どく廻って、 按摩(あんま)なら 真逆様(まっさかさま)に落つるところを、 際(きわ)どく右へ切れて、横に 見下(みおろ)すと、 菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの 黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、 上(あが)る 雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に 擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。 春は眠くなる。猫は鼠を 捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の 魂(たましい)の 居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が 醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが 判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ 暗誦(あんしょう)して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。 We look before and after And pine for what is not: Our sincerest laughter With some pain is fraught; Our sweetest songs are those that tell of saddest thought. 「前をみては、 後(しり)えを見ては、 物欲(ものほ)しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、 極(きわ)みの歌に、悲しさの、極みの 想(おもい)、 籠(こも)るとぞ知れ」 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う 訳(わけ)には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく 万斛(ばんこく)の 愁(うれい)などと云う字がある。詩人だから万斛で 素人(しろうと)なら一 合(ごう)で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、 凡骨(ぼんこつ)の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の 悲(かなしみ)も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。 しばらくは路が 平(たいら)で、右は 雑木山(ぞうきやま)、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々 蒲公英(たんぽぽ)を踏みつける。 鋸(のこぎり)のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な 珠(たま)を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに 鎮座(ちんざ)している。 呑気(のんき)なものだ。また考えをつづける。 詩人に 憂(うれい)はつきものかも知れないが、あの 雲雀(ひばり)を聞く心持になれば 微塵(みじん)の 苦(く)もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が 躍(おど)るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の 景物(けいぶつ)に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が 草臥(くたび)れて、 旨(うま)いものが食べられぬくらいの事だろう。 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一 幅(ぷく)の 画(え)として 観(み)、一 巻(かん)の詩として読むからである。 画(が)であり詩である以上は 地面(じめん)を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて 一儲(ひともう)けする 了見(りょうけん)も起らぬ。ただこの景色が――腹の 足(た)しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も 伴(ともな)わぬのだろう。自然の力はここにおいて 尊(たっ)とい。吾人の性情を瞬刻に 陶冶(とうや)して 醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその 局(きょく)に当れば利害の 旋風(つむじ)に 捲(ま)き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は 眩(くら)んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には 解(げ)しかねる。 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は 観(み)て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は 棚(たな)へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。 それすら、普通の芝居や小説では人情を 免(まぬ)かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。 取柄(とりえ)は利慾が 交(まじ)らぬと云う点に 存(そん)するかも知れぬが、交らぬだけにその他の 情緒(じょうしょ)は常よりは余計に活動するだろう。それが 嫌(いや)だ。 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを 仕通(しとお)して、 飽々(あきあき)した。 飽(あ)き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を 鼓舞(こぶ)するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも 塵界(じんかい)を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる 詩歌(しいか)の純粋なるものもこの 境(きょう)を 解脱(げだつ)する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、 浮世(うきよ)の 勧工場(かんこうば)にあるものだけで用を 弁(べん)じている。いくら詩的になっても地面の上を 馳(か)けてあるいて、 銭(ぜに)の勘定を忘れるひまがない。シェレーが 雲雀(ひばり)を聞いて嘆息したのも無理はない。 うれしい事に東洋の 詩歌(しいか)はそこを 解脱(げだつ)したのがある。 採菊(きくをとる) 東籬下(とうりのもと)、 悠然(ゆうぜんとして) 見南山(なんざんをみる)。ただそれぎりの 裏(うち)に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が 覗(のぞ)いてる訳でもなければ、 南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。超然と 出世間的(しゅっせけんてき)に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。 独(ひとり) 坐幽篁裏(ゆうこうのうちにざし)、 弾琴(きんをだんじて) 復長嘯(またちょうしょうす)、 深林(しんりん) 人不知(ひとしらず)、 明月来(めいげつきたりて) 相照(あいてらす)。ただ二十字のうちに 優(ゆう)に 別乾坤(べつけんこん)を 建立(こんりゅう)している。この乾坤の 功徳(くどく)は「 不如帰(ほととぎす)」や「 金色夜叉(こんじきやしゃ)」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた 後(のち)に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ 呑気(のんき)な 扁舟(へんしゅう)を 泛(うか)べてこの 桃源(とうげん)に 溯(さかのぼ)るものはないようだ。余は 固(もと)より詩人を職業にしておらんから、 王維(おうい)や 淵明(えんめい)の 境界(きょうがい)を今の世に 布教(ふきょう)して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ 一人(ひとり)絵の具箱と 三脚几(さんきゃくき)を 担(かつ)いで春の 山路(やまじ)をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの 間(ま)でも 非人情(ひにんじょう)の天地に 逍遥(しょうよう)したいからの 願(ねがい)。一つの 酔興(すいきょう)だ。 もちろん人間の 一分子(いちぶんし)だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く 訳(わけ)には行かぬ。淵明だって 年(ねん)が 年中(ねんじゅう) 南山(なんざん)を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで 竹藪(たけやぶ)の中に 蚊帳(かや)を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、 生(は)えた 筍(たけのこ)は 八百屋(やおや)へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が 募(つの)ってはおらん。こんな所でも人間に 逢(あ)う。じんじん 端折(ばしょ)りの 頬冠(ほおかむ)りや、赤い 腰巻(こしまき)の 姉(あね)さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の 檜(ひのき)に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を 呑(の)んだり吐いたりしても、人の 臭(にお)いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、 今宵(こよい)の宿は 那古井(なこい)の 温泉場(おんせんば)だ。 ただ、物は 見様(みよう)でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた 言(ことば)に、あの 鐘(かね)の 音(おと)を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も 見様次第(みようしだい)でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、 浮世小路(うきよこうじ)の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて 御能拝見(おのうはいけん)の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。 七騎落(しちきおち)でも、 墨田川(すみだがわ)でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは 情(じょう)三 分芸(ぶげい)七分で見せるわざだ。我らが能から 享(う)けるありがた味は下界の人情をよくそのまま[#「そのまま」に傍点]に写す 手際(てぎわ)から出てくるのではない。そのまま[#「そのまま」に傍点]の上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき 悠長(ゆうちょう)な 振舞(ふるまい)をするからである。 しばらくこの 旅中(りょちゅう)に起る出来事と、旅中に 出逢(であ)う人間を能の 仕組(しくみ)と能役者の 所作(しょさ)に見立てたらどうだろう。まるで人情を 棄(す)てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは 漕(こ)ぎつけたいものだ。 南山(なんざん)や 幽篁(ゆうこう)とは 性(たち)の違ったものに相違ないし、また 雲雀(ひばり)や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を 視(み)てみたい。 芭蕉(ばしょう)と云う男は 枕元(まくらもと)へ馬が 尿(いばり)するのをさえ 雅(が)な事と見立てて 発句(ほっく)にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、 爺(じい)さんも 婆(ばあ)さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な 真似(まね)をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を 探(さ)ぐって、心理作用に立ち入ったり、 人事葛藤(じんじかっとう)の 詮議立(せんぎだ)てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば 差(さ)し 支(つかえ)ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている 訳(わけ)に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの 懐(ふところ)には容易に飛び込めない訳だから、つまりは 画(え)の前へ立って、画中の人物が画面の 中(うち)をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。 間(あいだ)三尺も 隔(へだ)てていれば落ちついて見られる。あぶな 気(げ)なしに見られる。 言(ことば)を 換(か)えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を 挙(あ)げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと 鑒識(かんしき)する事が出来る。 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠 垂(もた)れ 懸(かか)っていたと思ったが、いつのまにか、 崩(くず)れ 出(だ)して、 四方(しほう)はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は 疾(と)くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が 濃(こまや)かでほとんど霧を 欺(あざむ)くくらいだから、 隔(へだ)たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の 背(せ)が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の 裾(すそ)と見える。深く 罩(こ)める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。 路は 存外(ぞんがい)広くなって、かつ 平(たいら)だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から 雨垂(あまだ)れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、 馬子(まご)がふうとあらわれた。 「ここらに休む所はないかね」 「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ 濡(ぬ)れたね」 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は 影画(かげえ)のように雨につつまれて、またふうと消えた。 糠(ぬか)のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は 一筋(ひとすじ)ごとに風に 捲(ま)かれる 様(さま)までが目に 入(い)る。羽織はとくに濡れ 尽(つく)して肌着に 浸(し)み込んだ水が、 身体(からだ)の 温度(ぬくもり)で 生暖(なまあたたか)く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた 歩行(ある)く。 茫々(ぼうぼう)たる 薄墨色(うすずみいろ)の世界を、 幾条(いくじょう)の 銀箭(ぎんせん)が 斜(なな)めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも 咏(よ)まれる。 有体(ありてい)なる 己(おの)れを忘れ 尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を 保(たも)つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、 画裡(がり)の人にもあらず。依然として 市井(しせい)の一 豎子(じゅし)に過ぎぬ。雲煙飛動の 趣(おもむき)も眼に 入(い)らぬ。 落花啼鳥(らっかていちょう)の情けも心に浮ばぬ。 蕭々(しょうしょう)として 独(ひと)り 春山(しゅんざん)を行く 吾(われ)の、いかに美しきかはなおさらに 解(かい)せぬ。初めは帽を傾けて 歩行(あるい)た。 後(のち)にはただ足の 甲(こう)のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は 満目(まんもく)の 樹梢(じゅしょう)を 揺(うご)かして 四方(しほう)より 孤客(こかく)に 逼(せま)る。非人情がちと強過ぎたようだ。 二 「おい」と声を掛けたが返事がない。 軒下(のきした)から奥を 覗(のぞ)くと 煤(すす)けた 障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の 草鞋(わらじ)が 淋(さび)しそうに 庇(ひさし)から 吊(つる)されて、 屈托気(くったくげ)にふらりふらりと揺れる。下に 駄菓子(だがし)の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と 文久銭(ぶんきゅうせん)が散らばっている。 「おい」とまた声をかける。土間の 隅(すみ)に片寄せてある 臼(うす)の上に、ふくれていた 鶏(にわとり)が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に 土竈(どべっつい)が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な 茶釜(ちゃがま)がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は 焚(た)きつけてある。 返事がないから、無断でずっと 這入(はい)って、 床几(しょうぎ)の上へ腰を 卸(おろ)した。 鶏(にわとり)は 羽摶(はばた)きをして 臼(うす)から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。 障子(しょうじ)がしめてなければ奥まで 馳(か)けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か 狗(いぬ)のように考えているらしい。床几の上には 一升枡(いっしょうます)ほどな 煙草盆(たばこぼん)が閑静に控えて、中にはとぐろを 捲(ま)いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる 悠長(ゆうちょう)に 燻(いぶ)っている。雨はしだいに収まる。 しばらくすると、奥の方から足音がして、 煤(すす)けた障子がさらりと 開(あ)く。なかから一人の婆さんが出る。 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。 竈(へつい)に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は 呑気(のんき)に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の 見世(みせ)を 明(あ)け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。 二三年前 宝生(ほうしょう)の舞台で 高砂(たかさご)を見た事がある。その時これはうつくしい 活人画(かつじんが)だと思った。 箒(ほうき)を 担(かつ)いだ爺さんが 橋懸(はしがか)りを五六歩来て、そろりと 後向(うしろむき)になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど 真(ま)むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。 「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」 「はい、これは、いっこう存じませんで」 「だいぶ降ったね」 「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお 濡(ぬ)れなさった。今火を 焚(た)いて 乾(かわ)かして上げましょ」 「そこをもう少し 燃(も)しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」 「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」 と立ち上がりながら、しっしっと 二声(ふたこえ)で 鶏(にわとり)を追い 下(さ)げる。ここここと 馳(か)け出した夫婦は、 焦茶色(こげちゃいろ)の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ 糞(ふん)を 垂(た)れた。 「まあ一つ」と婆さんはいつの 間(ま)にか 刳(く)り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く 焦(こ)げている底に、 一筆(ひとふで)がきの梅の花が三輪 無雑作(むぞうさ)に焼き付けられている。 「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた 胡麻(ごま)ねじと 微塵棒(みじんぼう)を持ってくる。 糞(ふん)はどこぞに着いておらぬかと 眺(なが)めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。 婆さんは 袖無(そでな)しの上から、 襷(たすき)をかけて、 竈(へっつい)の前へうずくまる。余は 懐(ふところ)から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。 「閑静でいいね」 「へえ、御覧の通りの 山里(やまざと)で」 「 鶯(うぐいす)は鳴くかね」 「ええ毎日のように鳴きます。 此辺(ここら)は夏も鳴きます」 「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」 「あいにく 今日(きょう)は―― 先刻(さっき)の雨でどこぞへ逃げました」 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が 颯(さっ)と風を起して一尺あまり吹き出す。 「さあ、 御(お)あたり。さぞ御寒かろ」と云う。 軒端(のきば)を見ると青い煙りが、突き当って 崩(くず)れながらに、 微(かす)かな 痕(あと)をまだ 板庇(いたびさし)にからんでいる。 「ああ、 好(い)い心持ちだ、 御蔭(おかげ)で生き返った」 「いい具合に雨も晴れました。そら 天狗巌(てんぐいわ)が見え出しました」 逡巡(しゅんじゅん)として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた 前山(ぜんざん)の 一角(いっかく)は、未練もなく晴れ尽して、 老嫗(ろうう)の指さす 方(かた)に ※※(さんがん)と、あら 削(けず)りの柱のごとく 聳(そび)えるのが天狗岩だそうだ。 余はまず天狗巌を 眺(なが)めて、次に婆さんを眺めて、三度目には 半々(はんはん)に両方を 見比(みくら)べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は 高砂(たかさご)の 媼(ばば)と、 蘆雪(ろせつ)のかいた 山姥(やまうば)のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは 物凄(ものすご)いものだと感じた。 紅葉(もみじ)のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。 宝生(ほうしょう)の 別会能(べつかいのう)を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの 面(めん)は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、 穏(おだ)やかに、あたたかに見える。 金屏(きんびょう)にも、 春風(はるかぜ)にも、あるは桜にもあしらって 差(さ)し 支(つかえ)ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を 翳(かざ)して、遠く向うを 指(ゆびさ)している、袖無し姿の婆さんを、春の 山路(やまじ)の景物として 恰好(かっこう)なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという 途端(とたん)に、婆さんの姿勢は崩れた。 手持無沙汰(てもちぶさた)に写生帖を、火にあてて 乾(かわ)かしながら、 「御婆さん、丈夫そうだね」と 訊(たず)ねた。 「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、 苧(お)もうみます、 御団子(おだんご)の 粉(こ)も 磨(ひ)きます」 この御婆さんに 石臼(いしうす)を 挽(ひ)かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、 「ここから 那古井(なこい)までは一里 足(た)らずだったね」と別な事を聞いて見る。 「はい、二十八丁と申します。 旦那(だんな)は 湯治(とうじ)に 御越(おこ)しで……」 「込み合わなければ、少し 逗留(とうりゅう)しようかと思うが、まあ気が向けばさ」 「いえ、戦争が始まりましてから、 頓(とん)と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」 「妙な事だね。それじゃ 泊(と)めてくれないかも知れんね」 「いえ、御頼みになればいつでも 宿(と)めます」 「宿屋はたった一軒だったね」 「へえ、 志保田(しほだ)さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」 「じゃ御客がなくても平気な訳だ」 「旦那は始めてで」 「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」 会話はちょっと 途切(とぎ)れる。帳面をあけて 先刻(さっき)の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が 聴(きこ)え出した。この声がおのずと、 拍子(ひょうし)をとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの 端(はじ)に、 春風や 惟然(いねん)が耳に馬の鈴 と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。 やがて 長閑(のどか)な 馬子唄(まごうた)が、春に 更(ふ)けた 空山一路(くうざんいちろ)の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても 画(え)にかいた声だ。 馬子唄(まごうた)の 鈴鹿(すずか)越ゆるや春の雨 と、今度は 斜(はす)に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。 「また誰ぞ来ました」と婆さんが 半(なか)ば 独(ひと)り 言(ごと)のように云う。 ただ 一条(ひとすじ)の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前 逢(お)うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を 下(くだ)り、思われては山を登ったのだろう。路 寂寞(じゃくまく)と 古今(ここん)の春を 貫(つらぬ)いて、花を 厭(いと)えば足を着くるに地なき 小村(こむら)に、婆さんは 幾年(いくねん)の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、 今日(こんにち)の 白頭(はくとう)に至ったのだろう。 馬子(まご)唄や 白髪(しらが)も染めで暮るる春 と次のページへ 認(したた)めたが、これでは自分の感じを云い 終(おお)せない、もう少し 工夫(くふう)のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪[#「白髪」に傍点]という字を入れて、幾代の節[#「幾代の節」に傍点]と云う句を入れて、馬子唄[#「馬子唄」に傍点]という題も入れて、春の 季(き)も加えて、それを十七字に 纏(まと)めたいと工夫しているうちに、 「はい、今日は」と実物の馬子が店先に 留(とま)って大きな声をかける。 「おや源さんか。また城下へ行くかい」 「何か買物があるなら頼まれて上げよ」 「そうさ、 鍛冶町(かじちょう)を通ったら、娘に 霊厳寺(れいがんじ)の 御札(おふだ)を一枚もらってきておくれなさい」 「はい、貰ってきよ。一枚か。―― 御秋(おあき)さんは 善(よ)い所へ片づいて仕合せだ。な、 御叔母(おば)さん」 「ありがたい事に 今日(こんにち)には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」 「仕合せとも、御前。あの 那古井(なこい)の嬢さまと比べて御覧」 「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」 「なあに、相変らずさ」 「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。 「困るよう」と源さんが馬の鼻を 撫(な)でる。 枝繁(えだしげ)き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の 塊(かた)まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、 仮(か)りの 住居(すまい)を、さらさらと 転(ころ)げ落ちる。馬は驚ろいて、長い 鬣(たてがみ)を 上下(うえした)に振る。 「コーラッ」と 叱(しか)りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の 冥想(めいそう)を破る。 御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ 眼前(めさき)に散らついている。 裾模様(すそもよう)の 振袖(ふりそで)に、 高島田(たかしまだ)で、馬に乗って……」 「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、 御叔母(おば)さん」 「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に 斑(ふ)が出来ました」 余はまた写生帖をあける。この景色は 画(え)にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、 花の頃を越えてかしこし馬に嫁 と書きつける。不思議な事には 衣装(いしょう)も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの 面影(おもかげ)が 忽然(こつぜん)と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を 早速(さっそく)取り 崩(くず)す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から 奇麗(きれい)に立ち 退(の)いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、 朦朧(もうろう)と胸の底に残って、 棕梠箒(しゅろぼうき)で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を 曳(ひ)く 彗星(すいせい)の何となく妙な気になる。 「それじゃ、まあ御免」と源さんが 挨拶(あいさつ)する。 「帰りにまた 御寄(およ)り。あいにくの降りで 七曲(ななまが)りは難義だろ」 「はい、少し骨が折れよ」と源さんは 歩行(あるき)出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。 「あれは 那古井(なこい)の男かい」 「はい、那古井の源兵衛で御座んす」 「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、 峠(とうげ)を越したのかい」 「志保田の嬢様が城下へ 御輿入(おこしいれ)のときに、嬢様を 青馬(あお)に乗せて、源兵衛が 覊絏(はづな)を 牽(ひ)いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」 鏡に 対(むか)うときのみ、わが頭の白きを 喞(かこ)つものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の 疾(と)き 趣(おもむき)を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ 仙(せん)に近づける方だろう。余はこう答えた。 「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」 「ハハハ今でも御覧になれます。 湯治場(とうじば)へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」 「はあ、今では里にいるのかい。やはり 裾模様(すそもよう)の 振袖(ふりそで)を着て、高島田に 結(い)っていればいいが」 「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」 余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外 真面目(まじめ)である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。 「嬢様と 長良(ながら)の 乙女(おとめ)とはよく似ております」 「顔がかい」 「いいえ。身の成り行きがで御座んす」 「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」 「 昔(むか)しこの村に長良の乙女と云う、美くしい 長者(ちょうじゃ)の娘が御座りましたそうな」 「へえ」 「ところがその娘に二人の男が一度に 懸想(けそう)して、あなた」 「なるほど」 「ささだ男に 靡(なび)こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い 煩(わずら)ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも と云う歌を 咏(よ)んで、 淵川(ふちかわ)へ身を投げて 果(は)てました」 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな 古雅(こが)な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。 「これから五丁東へ 下(くだ)ると、 道端(みちばた)に 五輪塔(ごりんのとう)が御座んす。ついでに 長良(ながら)の 乙女(おとめ)の墓を見て御行きなされ」 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。 「那古井の嬢様にも二人の男が 祟(たた)りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て 御出(おい)での頃 御逢(おあ)いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」 「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」 「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な 理由(わけ)もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」 「めでたく、 淵川(ふちかわ)へ身を投げんでも済んだ訳だね」 「ところが―― 先方(さき)でも器量望みで 御貰(おもら)いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと 強(し)いられて御出なさったのだから、どうも 折合(おりあい)がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは 極々(ごくごく) 内気(うちき)の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」 これからさきを聞くと、せっかくの 趣向(しゅこう)が 壊(こわ)れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て 羽衣(はごろも)を帰せ帰せと 催促(さいそく)するような気がする。 七曲(ななまが)りの険を 冒(おか)して、やっとの 思(おもい)で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり 下(おろ)されては、 飄然(ひょうぜん)と家を出た 甲斐(かい)がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の 臭(にお)いが 毛孔(けあな)から 染込(しみこ)んで、 垢(あか)で 身体(からだ)が重くなる。 「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚 床几(しょうぎ)の上へかちりと投げ出して立ち上がる。 「 長良(ながら)の五輪塔から右へ 御下(おくだ)りなさると、六丁ほどの近道になります。 路(みち)はわるいが、御若い方にはその 方(ほう)がよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」 三 昨夕(ゆうべ)は妙な気持ちがした。 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の 具合(ぐあい)庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。 昔(むか)し来た時とはまるで見当が違う。 晩餐(ばんさん)を済まして、湯に 入(い)って、 室(へや)へ帰って茶を飲んでいると、 小女(こおんな)が来て 床(とこ)を 延(の)べよかと 云(い)う。 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、 晩食(ばんめし)の給仕も、 湯壺(ゆつぼ)への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は 滅多(めった)にきかぬ。と云うて、 田舎染(いなかじ)みてもおらぬ。赤い帯を 色気(いろけ)なく結んで、古風な 紙燭(しそく)をつけて、廊下のような、 梯子段(はしごだん)のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も 降(お)りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、 普段(ふだん)使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ 遠(とおざ)かった時に、あとがひっそりとして、人の 気(け)がしないのが気になった。 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し 房州(ぼうしゅう)を 館山(たてやま)から向うへ突き抜けて、 上総(かずさ)から 銚子(ちょうし)まで浜伝いに 歩行(あるい)た事がある。その時ある晩、ある所へ 宿(とまっ)た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。 棟(むね)の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い 間(ま)をいくつも通り越して一番奥の、 中二階(ちゅうにかい)へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ 這入(はい)ろうとすると、 板庇(いたびさし)の下に 傾(かたむ)きかけていた 一叢(ひとむら)の 修竹(しゅうちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を 撫(な)でたので、すでにひやりとした。 椽板(えんいた)はすでに 朽(く)ちかかっている。来年は 筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。 その晩は例の竹が、枕元で 婆娑(ばさ)ついて、寝られない。 障子(しょうじ)をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の 月明(つきあきら)かなるに、眼を 走(は)しらせると、垣も 塀(へい)もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ 大海原(おおうなばら)でどどんどどんと大きな 濤(なみ)が人の世を 威嚇(おどか)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な 蚊帳(かや)のうちに 辛防(しんぼう)しながら、まるで 草双紙(くさぞうし)にでもありそうな事だと考えた。 その 後(ご)旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。 仰向(あおむけ)に寝ながら、偶然目を 開(あ)けて見ると 欄間(らんま)に、 朱塗(しゅぬ)りの 縁(ふち)をとった 額(がく)がかかっている。 文字(もじ)は寝ながらも 竹影(ちくえい) 払階(かいをはらって) 塵不動(ちりうごかず)と明らかに読まれる。 大徹(だいてつ)という 落款(らっかん)もたしかに見える。余は書においては 皆無鑒識(かいむかんしき)のない男だが、平生から、 黄檗(おうばく)の 高泉和尚(こうせんおしょう)の 筆致(ひっち)を愛している。 隠元(いんげん)も 即非(そくひ)も 木庵(もくあん)もそれぞれに面白味はあるが、 高泉(こうせん)の字が一番 蒼勁(そうけい)でしかも 雅馴(がじゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし 現(げん)に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。 横を向く。 床(とこ)にかかっている 若冲(じゃくちゅう)の鶴の図が目につく。これは 商売柄(しょうばいがら)だけに、部屋に 這入(はい)った時、すでに 逸品(いっぴん)と認めた。若冲の図は大抵 精緻(せいち)な彩色ものが多いが、この鶴は世間に 気兼(きがね)なしの 一筆(ひとふで)がきで、一本足ですらりと立った上に、 卵形(たまごなり)の胴がふわっと 乗(のっ)かっている様子は、はなはだ 吾意(わがい)を得て、 飄逸(ひょういつ)の 趣(おもむき)は、長い 嘴(はし)のさきまで 籠(こも)っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。 すやすやと寝入る。夢に。 長良(ながら)の 乙女(おとめ)が振袖を着て、 青馬(あお)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ 上(のぼ)って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い 竿(さお)を持って、 向島(むこうじま)を 追懸(おっか)けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、 行末(ゆくえ)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。 そこで眼が 醒(さ)めた。 腋(わき)の下から汗が出ている。妙に 雅俗混淆(がぞくこんこう)な夢を見たものだと思った。昔し 宋(そう)の 大慧禅師(だいえぜんじ)と云う人は、悟道の 後(のち)、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を 性命(せいめい)にするものは今少しうつくしい夢を見なければ 幅(はば)が 利(き)かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか 障子(しょうじ)に月がさして、木の枝が二三本 斜(なな)めに影をひたしている。 冴(さ)えるほどの春の 夜(よ)だ。 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに 紛(まぎ)れ込んだのかと耳を 峙(そばだ)てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の 夜(よ)に 一縷(いちる)の脈をかすかに 搏(う)たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと 長良(ながら)の 乙女(おとめ)の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。 初めのうちは 椽(えん)に近く聞えた声が、しだいしだいに細く 遠退(とおの)いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、 憐(あわ)れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく 自然(じねん)に 細(ほそ)りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた 秒(びょう)を縮め、 分(ふん)を 割(さ)いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする 病夫(びょうふ)のごとく、消えんとしては、消えんとする 灯火(とうか)のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の 恨(うら)みをことごとく 萃(あつ)めたる調べがある。 今までは 床(とこ)の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを 慕(した)って飛んで行きたい気がする。もうどう 焦慮(あせっ)ても 鼓膜(こまく)に 応(こた)えはあるまいと思う 一刹那(いっせつな)の前、余はたまらなくなって、われ知らず 布団(ふとん)をすり抜けると共にさらりと 障子(しょうじ)を 開(あ)けた。 途端(とたん)に自分の 膝(ひざ)から下が 斜(なな)めに月の光りを浴びる。 寝巻(ねまき)の上にも木の影が揺れながら落ちた。 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば 海棠(かいどう)かと思わるる幹を 背(せ)に、よそよそしくも月の光りを忍んで 朦朧(もうろう)たる 影法師(かげぼうし)がいた。あれかと思う意識さえ、 確(しか)とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み 砕(くだ)いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの 棟(むね)の 角(かど)が、すらりと動く、 背(せい)の高い女姿を、すぐに 遮(さえぎ)ってしまう。 借着(かりぎ)の 浴衣(ゆかた)一枚で、障子へつらまったまま、しばらく 茫然(ぼうぜん)としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び 帰参(きさん)して考え出した。 括(くく)り 枕(まくら)のしたから、 袂時計(たもとどけい)を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや 化物(ばけもの)ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは 此家(ここ)の御嬢さんかも知れない。しかし 出帰(でがえ)りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと 不穏当(ふおんとう)だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。 怪(け)しからん。 怖(こわ)いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。 凄(すご)い事も、 己(おの)れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば 画(え)になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の 宿(やど)るところやら、 憂(うれい)のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの 溢(あふ)るるところやらを、単に客観的に 眼前(がんぜん)に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、 自(みず)から 強(し)いて 煩悶(はんもん)して、愉快を 貪(むさ)ぼるものがある。 常人(じょうにん)はこれを評して 愚(ぐ)だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を 描(えが)いて 好(この)んでその 中(うち)に 起臥(きが)するのは、自から 烏有(うゆう)の山水を 刻画(こくが)して 壺中(こちゅう)の 天地(てんち)に歓喜すると、その芸術的の 立脚地(りっきゃくち)を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは 草鞋旅行(わらじたび)をする 間(あいだ)、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って 曾遊(そうゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に 喋々(ちょうちょう)して、したり顔である。これはあえて 自(みずか)ら 欺(あざむ)くの、人を 偽(いつ)わるのと云う 了見(りょうけん)ではない。旅行をする間は常人[#「常人」に傍点]の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人[#「詩人」に傍点]の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、 一角(いっかく)を 磨滅(まめつ)して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。 この 故(ゆえ)に 天然(てんねん)にあれ、人事にあれ、 衆俗(しゅうぞく)の 辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の 琳琅(りんろう)を見、 無上(むじょう)の 宝※(ほうろ)を知る。俗にこれを 名(なづ)けて 美化(びか)と云う。その実は美化でも何でもない。 燦爛(さんらん)たる 彩光(さいこう)は、 炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ 一翳(いちえい)眼に 在(あ)って 空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、 俗累(ぞくるい)の 覊絏牢(きせつろう)として 絶(た)ちがたきが故に、 栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに 逼(せま)る事、念々 切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、 応挙(おうきょ)が幽霊を 描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、 誰(だ)れが見ても、 誰(だれ)に聞かしても 饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。―― 孤村(こそん)の温泉、―― 春宵(しゅんしょう)の 花影(かえい)、―― 月前(げつぜん)の 低誦(ていしょう)、―― 朧夜(おぼろよ)の姿――どれもこれも芸術家の 好題目(こうだいもく)である。この好題目が 眼前(がんぜん)にありながら、余は 入(い)らざる 詮義立(せんぎだ)てをして、余計な 探(さ)ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に 理窟(りくつ)の筋が立って、願ってもない風流を、気味の 悪(わ)るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も 標榜(ひょうぼう)する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って 吹聴(ふいちょう)する資格はつかぬ。昔し 以太利亜(イタリア)の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を 賭(かけ)にして、山賊の 群(むれ)に 這入(はい)り込んだと聞いた事がある。 飄然(ひょうぜん)と画帖を 懐(ふところ)にして家を 出(い)でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。 こんな時にどうすれば詩的な 立脚地(りっきゃくち)に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に 据(す)えつけて、その感じから一歩 退(しりぞ)いて 有体(ありてい)に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の 屍骸(しがい)を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番 手近(てぢか)なのは 何(なん)でも 蚊(か)でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、 厠(かわや)に 上(のぼ)った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は 安直(あんちょく)に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の 悟(さと)りであるから軽便だと云って 侮蔑(ぶべつ)する必要はない。軽便であればあるほど 功徳(くどく)になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう 一人(ひとり)が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや 否(いな)やうれしくなる。涙を十七字に 纏(まと)めた時には、苦しみの涙は自分から 遊離(ゆうり)して、おれは泣く事の出来る男だと云う 嬉(うれ)しさだけの自分になる。 これが 平生(へいぜい)から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと 散漫(さんまん)になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。 「 海棠(かいだう)の露をふるふや 物狂(ものぐる)ひ」と 真先(まっさき)に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の 朧(おぼろ)かな」とやったが、これは季が 重(かさ)なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて 呑気(のんき)になればいい。それから「 正一位(しやういちゐ)、女に 化(ば)けて 朧月(おぼろづき)」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。 この調子なら大丈夫と 乗気(のりき)になって出るだけの句をみなかき付ける。 春の星を落して 夜半(よは)のかざしかな 春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪 春や 今宵(こよひ)歌つかまつる御姿 海棠(かいだう)の精が出てくる月夜かな うた折々月下の春ををちこちす 思ひ切つて更け行く春の独りかな などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。 恍惚(こうこつ)と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには 何人(なんびと)も我を認め得ぬ。 明覚(めいかく)の際には 誰(たれ)あって 外界(がいかい)を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に 縷(る)のごとき幻境が 横(よこた)わる。 醒(さ)めたりと云うには余り 朧(おぼろ)にて、眠ると評せんには少しく 生気(せいき)を 剰(あま)す。 起臥(きが)の二界を 同瓶裏(どうへいり)に盛りて、 詩歌(しいか)の 彩管(さいかん)をもって、ひたすらに 攪(か)き 雑(ま)ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の 手前(てまえ)までぼかして、ありのままの宇宙を一段、 霞(かすみ)の国へ押し流す。睡魔の 妖腕(ようわん)をかりて、ありとある実相の角度を 滑(なめら)かにすると共に、かく 和(やわ)らげられたる 乾坤(けんこん)に、われからと 微(かす)かに 鈍(にぶ)き脈を通わせる。地を 這(は)う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが 魂(たましい)の、わが 殻(から)を離れんとして離るるに忍びざる 態(てい)である。抜け 出(い)でんとして 逡巡(ためら)い、逡巡いては抜け出でんとし、 果(は)ては魂と云う個体を、もぎどうに 保(たも)ちかねて、 氤※(いんうん)たる 瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に 纏綿(てんめん)して、 依々(いい)たり 恋々(れんれん)たる心持ちである。 余が 寤寐(ごび)の 境(さかい)にかく 逍遥(しょうよう)していると、入口の 唐紙(からかみ)がすうと 開(あ)いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ 心地(ここち)よく 眺(なが)めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が 閉(と)じている 瞼(まぶた)の 裏(うち)に 幻影(まぼろし)の女が 断(ことわ)りもなく 滑(すべ)り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに 這入(はい)る。 仙女(せんにょ)の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる 眼(まなこ)のなかから見る世の中だから 確(しか)とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、 襟足(えりあし)の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を 灯影(ほかげ)にすかすような気がする。 まぼろしは 戸棚(とだな)の前でとまる。戸棚があく。白い腕が 袖(そで)をすべって 暗闇(くらやみ)のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに 閉(た)たる。余が眠りはしだいに 濃(こま)やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。 いつまで人と馬の 相中(あいなか)に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は 隅(すみ)から隅まで明るい。うららかな 春日(はるび)が丸窓の 竹格子(たけごうし)を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの 潜(ひそ)む余地はなさそうだ。神秘は 十万億土(じゅうまんおくど)へ帰って、 三途(さんず)の 川(かわ)の 向側(むこうがわ)へ渡ったのだろう。 浴衣(ゆかた)のまま、 風呂場(ふろば)へ下りて、五分ばかり偶然と 湯壺(ゆつぼ)のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一 昨夕(ゆうべ)はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を 界(さかい)にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。 身体(からだ)を 拭(ふ)くさえ 退儀(たいぎ)だから、いい加減にして、 濡(ぬ)れたまま 上(あが)って、風呂場の戸を内から 開(あ)けると、また驚かされた。 「御早う。 昨夕(ゆうべ)はよく寝られましたか」 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ 出合頭(であいがしら)の 挨拶(あいさつ)だから、さそくの返事も出る 遑(いとま)さえないうちに、 「さ、 御召(おめ)しなさい」 と 後(うし)ろへ廻って、ふわりと余の 背中(せなか)へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、 途端(とたん)に女は二三歩 退(しりぞ)いた。 昔から小説家は必ず主人公の 容貌(ようぼう)を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、 佳人(かじん)の 品評(ひんぴょう)に使用せられたるものを列挙したならば、 大蔵経(だいぞうきょう)とその量を争うかも知れぬ。この 辟易(へきえき)すべき多量の形容詞中から、余と三歩の 隔(へだた)りに立つ、 体(たい)を 斜(なな)めに 捩(ねじ)って、 後目(しりめ)に余が 驚愕(きょうがく)と 狼狽(ろうばい)を 心地(ここち)よげに 眺(なが)めている女を、もっとも適当に 叙(じょ)すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の 今日(こんにち)に至るまで 未(いま)だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、 希臘(ギリシャ)の彫刻の理想は、 端粛(たんしゅく)の二字に 帰(き)するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、 風雲(ふううん)か 雷霆(らいてい)か、見わけのつかぬところに 余韻(よいん)が 縹緲(ひょうびょう)と存するから 含蓄(がんちく)の 趣(おもむき)を 百世(ひゃくせい)の 後(のち)に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの 湛然(たんぜん)たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった 暁(あかつき)には、 ※泥帯水(たでいたいすい)の 陋(ろう)を 遺憾(いかん)なく示して、 本来円満(ほんらいえんまん)の 相(そう)に戻る訳には行かぬ。この 故(ゆえ)に 動(どう)と名のつくものは必ず卑しい。 運慶(うんけい)の 仁王(におう)も、 北斎(ほくさい)の 漫画(まんが)も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら 画工(がこう)の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大 範疇(はんちゅう)のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで 静(しずか)である。眼は 五分(ごぶ)のすきさえ見出すべく動いている。顔は 下膨(しもぶくれ)の 瓜実形(うりざねがた)で、豊かに落ちつきを見せているに引き 易(か)えて、 額(ひたい)は 狭苦(せまくる)しくも、こせついて、いわゆる 富士額(ふじびたい)の 俗臭(ぞくしゅう)を帯びている。のみならず 眉(まゆ)は両方から 逼(せま)って、中間に数滴の 薄荷(はっか)を点じたるごとく、ぴくぴく 焦慮(じれ)ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。 画(え)にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆 一癖(ひとくせ)あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。 元来は 静(せい)であるべき 大地(だいち)の一角に 陥欠(かんけつ)が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に 背(そむ)くと悟って、 力(つと)めて 往昔(むかし)の姿にもどろうとしたのを、 平衡(へいこう)を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた 今日(こんにち)は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。 それだから 軽侮(けいぶ)の 裏(うら)に、何となく人に 縋(すが)りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に 慎(つつし)み深い 分別(ふんべつ)がほのめいている。才に任せ、気を 負(お)えば百人の男子を物の数とも思わぬ 勢(いきおい)の下から 温和(おとな)しい 情(なさ)けが吾知らず 湧(わ)いて出る。どうしても表情に一致がない。 悟(さと)りと 迷(まよい)が一軒の 家(うち)に 喧嘩(けんか)をしながらも同居している 体(てい)だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に 圧(お)しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。 不仕合(ふしあわせ)な女に違ない。 「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと 会釈(えしゃく)した。 「ほほほほ御部屋は 掃除(そうじ)がしてあります。 往(い)って御覧なさい。いずれ 後(のち)ほど」 と云うや 否(いな)や、ひらりと、腰をひねって、廊下を 軽気(かろげ)に 馳(か)けて行った。頭は 銀杏返(いちょうがえし)に 結(い)っている。白い 襟(えり)がたぼの下から見える。帯の 黒繻子(くろじゅす)は 片側(かたかわ)だけだろう。 四 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど 奇麗(きれい)に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな 用箪笥(ようだんす)が見える。上から 友禅(ゆうぜん)の 扱帯(しごき)が半分 垂(た)れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい 衣裳(いしょう)の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に 白隠和尚(はくいんおしょう)の 遠良天釜(おらてがま)と、 伊勢物語(いせものがたり)の一巻が並んでる。 昨夕(ゆうべ)のうつつは事実かも知れないと思った。 何気(なにげ)なく 座布団(ざぶとん)の上へ坐ると、 唐木(からき)の机の上に例の写生帖が、鉛筆を 挟(はさ)んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。 「 海棠(かいだう)の露をふるふや 物狂(ものぐるひ)」の下にだれだか「海棠の露をふるふや 朝烏(あさがらす)」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと 解(わか)らんが、女にしては 硬過(かたす)ぎる、男にしては 柔(やわら)か過ぎる。おやとまた 吃驚(びっくり)する。次を見ると「花の影、女の影の 朧(おぼろ)かな」の下に「花の影女の影を 重(かさ)ねけり」とつけてある。「 正一位(しやういちゐ)女に化けて 朧月(おぼろづき)」の下には「 御曹子(おんざうし)女に化けて朧月」とある。 真似(まね)をしたつもりか、 添削(てんさく)した気か、風流の 交(まじ)わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を 傾(かたむ)けた。 後(のち)ほどと云ったから、今に 飯(めし)の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは 午飯(ひるめし)だけで間に合せる方が胃のためによかろう。 右側の 障子(しょうじ)をあけて、 昨夜(ゆうべ)の 名残(なごり)はどの 辺(へん)かなと眺める。 海棠(かいどう)と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の 飛石(とびいし)を一面の 青苔(あおごけ)が埋めて、 素足(すあし)で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの 崖(がけ)に赤松が 斜(なな)めに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の 後(うし)ろにはちょっとした茂みがあって、奥は 大竹藪(おおたけやぶ)が十丈の 翠(みど)りを春の日に 曝(さら)している。右手は 屋(や)の 棟(むね)で 遮(さえ)ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら 下(お)りに風呂場の方へ落ちているに相違ない。 山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの 平地(へいち)となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた 隆然(りゅうぜん)と起き上って、周囲六里の 摩耶島(まやじま)となる。これが 那古井(なこい)の地勢である。温泉場は岡の 麓(ふもと)を出来るだけ 崖(がけ)へさしかけて、 岨(そば)の景色を半分庭へ囲い込んだ 一構(ひとかまえ)であるから、前面は二階でも、後ろは 平屋(ひらや)になる。 椽(えん)から足をぶらさげれば、すぐと 踵(かかと)は 苔(こけ)に着く。道理こそ昨夕は 楷子段(はしごだん)をむやみに 上(のぼ)ったり、 下(くだ)ったり、 異(い)な 仕掛(しかけ)の 家(うち)と思ったはずだ。 今度は左り側の窓をあける。自然と 凹(くぼ)む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を ※(ひた)している。 二株三株(ふたかぶみかぶ)の 熊笹(くまざさ)が岩の角を 彩(いろ)どる、向うに 枸杞(くこ)とも見える 生垣(いけがき)があって、外は浜から、岡へ上る 岨道(そばみち)か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと 南下(みなみさ)がりに 蜜柑(みかん)を植えて、谷の 窮(きわ)まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から 石磴(せきとう)が五六段手にとるように見える。 大方(おおかた)御寺だろう。 入口の 襖(ふすま)をあけて 椽(えん)へ出ると、 欄干(らんかん)が四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を 隔(へだ)てて、表二階の 一間(ひとま)がある。わが住む部屋も、欄干に 倚(よ)ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。 湯壺(ゆつぼ)は 地(じ)の下にあるのだから、 入湯(にゅうとう)と云う点から云えば、余は三層楼上に 起臥(きが)する訳になる。 家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、 居室(いま)台所は知らず、客間と名がつきそうなのは 大抵(たいてい)立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど 皆無(かいむ)なのだろう。 〆(しめ)た部屋は昼も 雨戸(あまど)をあけず、あけた以上は夜も 閉(た)てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う 屈強(くっきょう)な場所だ。 時計は十二時近くなったが 飯(めし)を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、 空山(くうざん) 不見人(ひとをみず)と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても 遺憾(いかん)はない。 画(え)をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに 俳三昧(はいざんまい)に入っているから、作るだけ 野暮(やぼ)だ。読もうと思って 三脚几(さんきゃくき)に 括(くく)りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、 煦々(くく)たる 春日(しゅんじつ)に 背中(せなか)をあぶって、 椽側(えんがわ)に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の 至楽(しらく)である。考えれば 外道(げどう)に 堕(お)ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から 呼吸(いき)もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か 上(あが)ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は 何(なん)にも云わず、元の方へ引き返す。 襖(ふすま)があいたから、今朝の人と思ったら、やはり 昨夜(ゆうべ)の 小女郎(こじょろう)である。何だか物足らぬ。 「遅くなりました」と 膳(ぜん)を 据(す)える。 朝食(あさめし)の言訳も何にも言わぬ。 焼肴(やきざかな)に青いものをあしらって、 椀(わん)の 蓋(ふた)をとれば 早蕨(さわらび)の中に、紅白に染め抜かれた、 海老(えび)を沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を 眺(なが)めていた。 「 御嫌(おきら)いか」と下女が聞く。 「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある 晩餐(ばんさん)の席で、皿に 盛(も)るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと 傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の 献立(こんだて)は、 吸物(すいもの)でも、口取でも、 刺身(さしみ)でも 物奇麗(ものぎれい)に出来る。 会席膳(かいせきぜん)を前へ置いて、 一箸(ひとはし)も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった 甲斐(かい)は充分ある。 「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。 「へえ」 「ありゃ何だい」 「若い奥様でござんす」 「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」 「去年 御亡(おな)くなりました」 「旦那さんは」 「おります。旦那さんの娘さんでござんす」 「あの若い人がかい」 「へえ」 「御客はいるかい」 「おりません」 「わたし一人かい」 「へえ」 「若い奥さんは毎日何をしているかい」 「針仕事を……」 「それから」 「 三味(しゃみ)を 弾(ひ)きます」 これは意外であった。面白いからまた 「それから」と聞いて見た。 「御寺へ行きます」と 小女郎(こじょろう)が云う。 これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。 「御寺 詣(まい)りをするのかい」 「いいえ、 和尚様(おしょうさま)の所へ行きます」 「和尚さんが三味線でも習うのかい」 「いいえ」 「じゃ何をしに行くのだい」 「 大徹様(だいてつさま)の所へ行きます」 なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも 禅坊主(ぜんぼうず)らしい。戸棚に 遠良天釜(おらてがま)があったのは、全くあの女の所持品だろう。 「この部屋は普段誰か 這入(はい)っている所かね」 「普段は奥様がおります」 「それじゃ、 昨夕(ゆうべ)、わたしが来る時までここにいたのだね」 「へえ」 「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」 「知りません」 「それから」 「何でござんす」 「それから、まだほかに何かするのだろう」 「それから、いろいろ……」 「いろいろって、どんな事を」 「知りません」 会話はこれで切れる。飯はようやく 了(おわ)る。膳を引くとき、小女郎が入口の 襖(ふすま)を 開(あけ)たら、中庭の 栽込(うえこ)みを 隔(へだ)てて、向う二階の 欄干(らんかん)に 銀杏返(いちょうがえ)しが 頬杖(ほおづえ)を突いて、開化した 楊柳観音(ようりゅうかんのん)のように下を見詰めていた。今朝に引き 替(か)えて、はなはだ静かな姿である。 俯向(うつむ)いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、 相好(そうごう)にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの 眸子(ぼうし)より良きはなしと云ったそうだが、なるほど人 焉(いずく)んぞ ※(かく)さんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。 寂然(じゃくねん)と 倚(よ)る 亜字欄(あじらん)の下から、 蝶々(ちょうちょう)が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。 途端(とたん)にわが部屋の 襖(ふすま)はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の 方(かた)に転じた。視線は毒矢のごとく 空(くう)を 貫(つらぬ)いて、 会釈(えしゃく)もなく余が 眉間(みけん)に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは 至極(しごく) 呑気(のんき)な春となる。 余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、 Sadder than is the moon's lost light, Lost ere the kindling of dawn, To travellers journeying on, The shutting of thy fair face from my sight. と云う句であった。もし余があの 銀杏返(いちょうがえ)しに 懸想(けそう)して、身を 砕(くだ)いても逢わんと思う矢先に、今のような 一瞥(いちべつ)の別れを、 魂消(たまぎ)るまでに、嬉しとも、 口惜(くちお)しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に Might I look on thee in death, With bliss I would yield my breath. と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う 境界(きょうがい)はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の 刹那(せつな)に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの 間柄(あいだがら)にこんな 切(せつ)ない 思(おもい)はないとしても、二人の今の関係を、この詩の 中(うち)に 適用(あてはめ)て見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある 因果(いんが)の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、 括(くく)りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと 苦(く)にはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る 虹(にじ)の糸、 野辺(のべ)に 棚引(たなび)く 霞(かすみ)の糸、 露(つゆ)にかがやく 蜘蛛(くも)の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは 勝(すぐ)れてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって 井戸縄(いどなわ)のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。 突然襖があいた。 寝返(ねがえ)りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って 青磁(せいじ)の 鉢(はち)を盆に乗せたまま 佇(たたず)んでいる。 「また寝ていらっしゃるか、 昨夕(ゆうべ)は御迷惑で御座んしたろう。 何返(なんべん)も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。 臆(おく)した 景色(けしき)も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが 先(せん)を越されたのみである。 「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、 丹前(たんぜん)の礼をこれで三 返(べん)云った。しかも、三返ながら、ただ難有う[#「難有う」に傍点]と云う三字である。 女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って 「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも 気作(きさく)に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず 腹這(はらばい)になって、両手で 顎(あご)を 支(ささ)え、しばし畳の上へ 肘壺(ひじつぼ)の柱を立てる。 「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」 「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な 羊羹(ようかん)が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が 好(すき)だ。別段食いたくはないが、あの 肌合(はだあい)が 滑(なめ)らかに、 緻密(ちみつ)に、しかも 半透明(はんとうめい)に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた 煉上(ねりあ)げ方は、 玉(ぎょく)と 蝋石(ろうせき)の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して 撫(な)でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと 柔(やわら)かだが、少し重苦しい。ジェリは、 一目(いちもく)宝石のように見えるが、ぶるぶる 顫(ふる)えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、 言語道断(ごんごどうだん)の沙汰である。 「うん、なかなか 美事(みごと)だ」 「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」 源兵衛は昨夕 城下(じょうか)へ 留(とま)ったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。 「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して 遜色(そんしょく)がない」 女はふふんと笑った。 口元(くちもと)に 侮(あな)どりの波が 微(かす)かに 揺(ゆ)れた。余の言葉を 洒落(しゃれ)と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、 軽蔑(けいべつ)される 価(あたい)はたしかにある。 智慧(ちえ)の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。 「これは支那ですか」 「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。 「どうも支那らしい」と皿を上げて底を 眺(なが)めて見た。 「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」 「ええ、見せて下さい」 「父が 骨董(こっとう)が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」 茶と聞いて少し 辟易(へきえき)した。世間に 茶人(ちゃじん)ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に 縄張(なわば)りをして、 極(きわ)めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに 鞠躬如(きくきゅうじょ)として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな 煩瑣(はんさ)な規則のうちに雅味があるなら、 麻布(あざぶ)の 聯隊(れんたい)のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に 利休(りきゅう)以後の規則を 鵜呑(うの)みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。 「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」 「いいえ、流儀も何もありゃしません。 御厭(おいや)なら飲まなくってもいい御茶です」 「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」 「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」 「 褒(ほ)めなくっちゃあ、いけませんか」 「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」 「へえ、少しなら褒めて置きましょう」 「負けて、たくさん御褒めなさい」 「はははは、時にあなたの言葉は 田舎(いなか)じゃない」 「人間は田舎なんですか」 「人間は田舎の方がいいのです」 「それじゃ 幅(はば)が 利(き)きます」 「しかし東京にいた事がありましょう」 「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」 「ここと都と、どっちがいいですか」 「同じ事ですわ」 「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」 「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。 蚤(のみ)の国が 厭(いや)になったって、 蚊(か)の国へ 引越(ひっこ)しちゃ、 何(なん)にもなりません」 「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」 「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は 詰(つ)め寄せる。 「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、 画(え)にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、 「さあ、この中へ 御這入(おはい)りなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の 前(さき)へ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと 景色(けしき)を 伺(うかが)うと、 「まあ、 窮屈(きゅうくつ)な世界だこと、 横幅(よこはば)ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで 蟹(かに)ね」と云って 退(の)けた。余は 「わはははは」と笑う。 軒端(のきば)に近く、 啼(な)きかけた 鶯(うぐいす)が、中途で声を 崩(くず)して、遠き 方(かた)へ枝移りをやる。 両人(ふたり)はわざと対話をやめて、しばらく耳を 峙(そばだ)てたが、いったん鳴き 損(そこ)ねた 咽喉(のど)は容易に 開(あ)けぬ。 「 昨日(きのう)は山で源兵衛に 御逢(おあ)いでしたろう」 「ええ」 「 長良(ながら)の 乙女(おとめ)の 五輪塔(ごりんのとう)を見ていらしったか」 「ええ」 「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。 「その歌はね、茶店で聞きましたよ」 「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと 余(よ)の顔を見たから、余は知らぬ 風(ふう)をしていた。 「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も 聴(き)くうちに、とうとう何もかも 諳誦(あんしょう)してしまいました」 「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は 憐(あわ)れな歌ですね」 「憐れでしょうか。私ならあんな歌は 咏(よ)みませんね。第一、 淵川(ふちかわ)へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」 「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」 「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、 男妾(おとこめかけ)にするばかりですわ」 「両方ともですか」 「ええ」 「えらいな」 「えらかあない、当り前ですわ」 「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」 「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」 ほーう、ほけきょうと忘れかけた 鶯(うぐいす)が、いつ 勢(いきおい)を盛り返してか、時ならぬ 高音(たかね)を不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を 逆(さかし)まにして、ふくらむ 咽喉(のど)の底を 震(ふる)わして、小さき口の張り裂くるばかりに、 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ 様(さま)に 囀(さえ)ずる。 「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。 五 「失礼ですが 旦那(だんな)は、やっぱり東京ですか」 「東京と見えるかい」 「見えるかいって、 一目(ひとめ)見りゃあ、―― 第一(だいち)言葉でわかりまさあ」 「東京はどこだか知れるかい」 「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも 下町(したまち)じゃねえようだ。 山(やま)の 手(て)だね。山の手は 麹町(こうじまち)かね。え? それじゃ、 小石川(こいしかわ)? でなければ 牛込(うしごめ)か 四谷(よつや)でしょう」 「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」 「こう 見(め)えて、 私(わっち)も江戸っ子だからね」 「 道理(どうれ)で 生粋(いなせ)だと思ったよ」 「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」 「何でまたこんな 田舎(いなか)へ流れ込んで来たのだい」 「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」 「もとから 髪結床(かみゆいどこ)の親方かね」 「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は 神田松永町(かんだまつながちょう)でさあ。なあに猫の 額(ひたい)見たような小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに 竜閑橋(りゅうかんばし)てえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、 名代(なだい)な橋だがね」 「おい、もう少し、 石鹸(しゃぼん)を 塗(つ)けてくれないか、痛くって、いけない」 「痛うがすかい。 私(わっち)ゃ 癇性(かんしょう)でね、どうも、こうやって、 逆剃(さかずり)をかけて、一本一本 髭(ひげ)の穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに 今時(いまどき)の職人なあ、 剃(す)るんじゃねえ、 撫(な)でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」 「我慢は 先(さっき)から、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」 「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。 全体(ぜんてい)、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」 やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、 棚(たな)の上から、 薄(うす)っ 片(ぺら)な赤い石鹸を取り 卸(お)ろして、水のなかにちょっと 浸(ひた)したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれを 濡(ぬ)らした水は、 幾日前(いくにちまえ)に 汲(く)んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。 すでに 髪結床(かみゆいどこ)である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は 平(たい)らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が 具(そな)わらない鏡を 懸(か)けて、これに向えと 強(し)いるならば、強いるものは 下手(へた)な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を 挫(くじ)くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も 己(おの)れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを 侮辱(ぶじょく)するには及ぶまい。今余が 辛抱(しんぼう)して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。 仰向(あおむ)くと 蟇蛙(ひきがえる)を前から見たように 真平(まったいら)に 圧(お)し 潰(つぶ)され、少しこごむと 福禄寿(ふくろくじゅ)の 祈誓児(もうしご)のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する 間(あいだ)は一人でいろいろな 化物(ばけもの)を 兼勤(けんきん)しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の 剥(は)げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を 極(きわ)めている。 小人(しょうじん)から 罵詈(ばり)されるとき、罵詈それ自身は別に 痛痒(つうよう)を感ぜぬが、その 小人(しょうじん)の面前に 起臥(きが)しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。 その上この親方がただの親方ではない。そとから 覗(のぞ)いたときは、 胡坐(あぐら)をかいて、 長煙管(ながぎせる)で、おもちゃの 日英同盟(にちえいどうめい)国旗の上へ、しきりに 煙草(たばこ)を吹きつけて、さも 退屈気(たいくつげ)に見えたが、 這入(はい)って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。 髭(ひげ)を 剃(そ)る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、 容赦(ようしゃ)なく取り扱われる。余の首が肩の上に 釘付(くぎづ)けにされているにしてもこれでは永く持たない。 彼は 髪剃(かみそり)を 揮(ふる)うに当って、 毫(ごう)も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。 揉(も)み 上(あげ)の所ではぞきりと動脈が鳴った。 顋(あご)のあたりに 利刃(りじん)がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと 霜柱(しもばしら)を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。 最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な 臭(にお)いがする。時々は 異(い)な 瓦斯(ガス)を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ 何時(なんどき)、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの 怪我(けが)なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って 咽喉笛(のどぶえ)でも 掻(か)き切られては事だ。 「 石鹸(しゃぼん)なんぞを、つけて、 剃(す)るなあ、腕が 生(なま)なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ 放(ほう)り出すと、石鹸は親方の命令に 背(そむ)いて地面の上へ 転(ころ)がり落ちた。 「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」 「 二三日(にさんち)前来たばかりさ」 「へえ、どこにいるんですい」 「 志保田(しほだ)に 逗(とま)ってるよ」 「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな 事(こっ)たろうと思ってた。実あ、 私(わっし)もあの隠居さんを 頼(たよっ)て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年 御新造(ごしんぞ)が死んじまって、今じゃ道具ばかり 捻(ひね)くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな 金目(かねめ)だろうって話さ」 「 奇麗(きれい)な御嬢さんがいるじゃないか」 「あぶねえね」 「何が?」 「何がって。旦那の 前(めえ)だが、あれで 出返(でもど)りですぜ」 「そうかい」 「そうかいどころの 騒(さわぎ)じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が 潰(つぶ)れて 贅沢(ぜいたく)が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が 悪(わ)るいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、 法返(ほうがえ)しがつかねえ 訳(わけ)になりまさあ」 「そうかな」 「 当(あた)り 前(めえ)でさあ。本家の 兄(あにき)たあ、仲がわるしさ」 「本家があるのかい」 「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」 「おい、もう一遍 石鹸(しゃぼん)をつけてくれないか。また痛くなって来た」 「よく痛くなる 髭(ひげ)だね。髭が 硬過(こわす)ぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非 剃(そり)を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」 「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」 「そんなに長く 逗留(とうりゅう)する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ 事(こ)った。 碌(ろく)でもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」 「どうして」 「旦那あの娘は 面(めん)はいいようだが、本当はき[#「き」に傍点] 印(じる)しですぜ」 「なぜ」 「なぜって、旦那。村のものは、みんな 気狂(きちげえ)だって云ってるんでさあ」 「そりゃ何かの間違だろう」 「だって、 現(げん)に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」 「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」 「おかしな話しさね。まあゆっくり、 煙草(たばこ)でも 呑(の)んで 御出(おいで)なせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」 「頭はよそう」 「 頭垢(ふけ)だけ落して置くかね」 親方は 垢(あか)の 溜(たま)った十本の爪を、遠慮なく、余が 頭蓋骨(ずがいこつ)の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の 境(きょう)を巨人の 熊手(くまで)が疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が 生(は)えているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に 蚯蚓腫(めめずばれ)にふくれ上った上、余勢が 地磐(じばん)を通して、骨から 脳味噌(のうみそ)まで 震盪(しんとう)を感じたくらい 烈(はげ)しく、親方は余の頭を掻き廻わした。 「どうです、好い心持でしょう」 「非常な 辣腕(らつわん)だ」 「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」 「首が抜けそうだよ」 「そんなに 倦怠(けったる)うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ 奴(やつ)あ、やに 身体(からだ)がなまけやがって――まあ一ぷく 御上(おあ)がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに 御出(おいで)なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、 見境(みさけえ)のねえ女だから困っちまわあ」 「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」 「 違(ちげえ)ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が 逆(のぼ)せちまって……」 「その坊主たあ、どの坊主だい」 「 観海寺(かんかいじ)の 納所坊主(なっしょぼうず)がさ……」 「 納所(なっしょ)にも 住持(じゅうじ)にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」 「そうか、 急勝(せっかち)だから、いけねえ。 苦味走(にがんばし)った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが 御前(おまえ)さん、レコに参っちまって、とうとう 文(ふみ)をつけたんだ。――おや待てよ。 口説(くどい)たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に 違(ちげ)えねえ。すると――こうっと――何だか、 行(い)きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと 奴(やっこ)さん、驚ろいちまってからに……」 「誰が驚ろいたんだい」 「女がさ」 「女が文を受け取って驚ろいたんだね」 「ところが驚ろくような女なら、 殊勝(しお)らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」 「じゃ誰が驚ろいたんだい」 「口説た方がさ」 「口説ないのじゃないか」 「ええ、じれってえ。間違ってらあ。 文(ふみ)をもらってさ」 「それじゃやっぱり女だろう」 「なあに男がさ」 「男なら、その坊主だろう」 「ええ、その坊主がさ」 「坊主がどうして驚ろいたのかい」 「どうしてって、本堂で 和尚(おしょう)さんと御経を上げてると、 突然(いきなり)あの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても 狂印(きじるし)だね」 「どうかしたのかい」 「そんなに 可愛(かわい)いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、 泰安(たいあん)さんの (くび)っ 玉(たま)へかじりついたんでさあ」 「へええ」 「 面喰(めんくら)ったなあ、泰安さ。 気狂(きちげえ)に文をつけて、飛んだ恥を 掻(か)かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」 「死んだ?」 「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」 「何とも云えない」 「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって 冴(さ)えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」 「なかなか面白い話だ」 「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、 根(ね)が気が違ってるんだから、 洒唖洒唖(しゃあしゃあ)して平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、 滅多(めった)にからかったり 何(なん)かすると、大変な目に逢いますよ」 「ちっと気をつけるかね。ははははは」 生温(なまぬる)い 磯(いそ)から、塩気のある 春風(はるかぜ)がふわりふわりと来て、親方の 暖簾(のれん)を 眠(ねむ)たそうに 煽(あお)る。身を 斜(はす)にしてその下をくぐり抜ける 燕(つばめ)の姿が、ひらりと、鏡の 裡(うち)に落ちて行く。向うの 家(うち)では六十ばかりの爺さんが、軒下に 蹲踞(うずく)まりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い 味(み)が 笊(ざる)のなかに隠れる。 殻(から)はきらりと光りを放って、二尺あまりの 陽炎(かげろう)を 向(むこう)へ横切る。丘のごとくに 堆(うずた)かく、積み上げられた、貝殻は 牡蠣(かき)か、 馬鹿(ばか)か、 馬刀貝(まてがい)か。 崩(くず)れた、幾分は 砂川(すながわ)の底に落ちて、浮世の表から、 暗(く)らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の 行末(ゆくえ)を考うる暇さえなく、ただ 空(むな)しき殻を 陽炎(かげろう)の上へ 放(ほう)り出す。 彼(か)れの 笊(ざる)には 支(ささ)うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に 長閑(のど)かと見える。 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、 参差(しんし)として 幾尋(いくひろ)の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、 腥(なまぐさ)き 微温(ぬくもり)を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、 鈍刀(どんとう)を 溶(と)かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。 この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で 四辺(しへん)の風光と 拮抗(きっこう)するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる 円※方鑿(えんぜいほうさく)の感に打たれただろう。 幸(さいわい)にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この 渾然(こんぜん)として 駘蕩(たいとう)たる天地の大気象には 叶(かな)わない。満腹の 饒舌(にょうぜつ)を 弄(ろう)して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く 一微塵(いちみじん)となって、 怡々(いい)たる 春光(しゅんこう)の 裏(うち)に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気 体躯(たいく)において 氷炭相容(ひょうたんあいい)るる 能(あた)わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に 在(あ)って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく ※尽※磨(しじんろうま)して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。 大人(たいじん)の 手足(しゅそく)となって才子が活動し、才子の 股肱(ここう)となって 昧者(まいしゃ)が活動し、昧者の 心腹(しんぷく)となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の 滑稽(こっけい)を演じている。 長閑(のどか)な春の感じを 壊(こわ)すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず 弥生半(やよいなか)ばに 呑気(のんき)な 弥次(やじ)と近づきになったような気持ちになった。この 極(きわ)めて安価なる 気※家(きえんか)は、太平の 象(しょう)を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。 こう考えると、この親方もなかなか 画(え)にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと 尻(しり)を 据(す)えて 四方八方(よもやま)の話をしていた。ところへ 暖簾(のれん)を 滑(すべ)って小さな坊主頭が 「御免、一つ 剃(そ)って貰おうか」 と 這入(はい)って来る。白木綿の着物に同じ 丸絎(まるぐけ)の帯をしめて、上から 蚊帳(かや)のように 粗(あら)い 法衣(ころも)を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。 「 了念(りょうねん)さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、 和尚(おしょう)さんに 叱(しか)られたろう」 「いんにゃ、 褒(ほ)められた」 「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」 「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」 「 道理(どうれ)で頭に 瘤(こぶ)が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、 剃(す)るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、 捏(こ)ね直して来ねえ」 「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」 「はははは頭は 凹凸(ぼこでこ)だが、口だけは達者なもんだ」 「腕は鈍いが、酒だけ強いのは 御前(おまえ)だろ」 「 箆棒(べらぼう)め、腕が鈍いって……」 「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。 年甲斐(としがい)もない」 「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」 「ええ?」 「 全体(ぜんてえ)坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、 屈托(くったく)がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか 口幅(くちはば)ってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し 頭(どたま)を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を 聴(き)かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」 「痛いがな。そう無茶をしては」 「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」 「坊主にはもうなっとるがな」 「まだ 一人前(いちにんめえ)じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」 「泰安さんは死にはせんがな」 「死なねえ? はてな。死んだはずだが」 「泰安さんは、その 後(のち)発憤して、 陸前(りくぜん)の 大梅寺(だいばいじ)へ行って、 修業三昧(しゅぎょうざんまい)じゃ。今に 智識(ちしき)になられよう。結構な事よ」 「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。 御前(おめえ)なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの 狂印(きじるし)はやっぱり 和尚(おしょう)さんの所へ行くかい」 「 狂印(きじるし)と云う女は聞いた事がない」 「通じねえ、 味噌擂(みそすり)だ。行くのか、行かねえのか」 「 狂印(きじるし)は来んが、志保田の娘さんなら来る」 「いくら、和尚さんの 御祈祷(ごきとう)でもあればかりゃ、 癒(なお)るめえ。全く 先(せん)の旦那が 祟(たた)ってるんだ」 「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう 褒(ほ)めておられる」 「石段をあがると、何でも 逆様(さかさま)だから 叶(かな)わねえ。和尚さんが、何て云ったって、 気狂(きちげえ)は 気狂(きちげえ)だろう。――さあ 剃(す)れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」 「いやもう少し遊んで行って 賞(ほ)められよう」 「勝手にしろ、口の 減(へ)らねえ 餓鬼(がき)だ」 「 咄(とっ)この 乾尿※(かんしけつ)」 「何だと?」 青い頭はすでに 暖簾(のれん)をくぐって、 春風(しゅんぷう)に吹かれている。 六 夕暮の机に向う。障子も 襖(ふすま)も 開(あ)け 放(はな)つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく 振舞(ふるま)う 境(きょう)を、 幾曲(いくまがり)の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の 煩(わずらい)にはならぬ。今日は 一層(ひとしお)静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ 間(ま)に、われを残して、立ち 退(の)いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。 霞(かすみ)の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、 舵(かじ)をとるさえ 懶(ものう)き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き 境(さかい)に 漂(ただよ)い来て、 果(は)ては帆みずからが、いずこに 己(おの)れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな 遥(はる)かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの 四大(しだい)が、今頃は目に見えぬ 霊氛(れいふん)となって、広い天地の間に、 顕微鏡(けんびきょう)の力を 藉(か)るとも、 些(さ)の 名残(なごり)を 留(とど)めぬようになったのであろう。あるいは 雲雀(ひばり)に化して、 菜(な)の花の 黄(き)を鳴き尽したる 後(のち)、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする 虻(あぶ)のつとめを果したる後、 蕋(ずい)に 凝(こ)る甘き露を吸い 損(そこ)ねて、 落椿(おちつばき)の下に、伏せられながら、世を 香(かん)ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。 空(むな)しき家を、空しく抜ける 春風(はるかぜ)の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。 拒(こば)むものへの 面当(つらあて)でもない。 自(おのず)から 来(きた)りて、自から去る、公平なる宇宙の 意(こころ)である。 掌(たなごころ)に 顎(あご)を 支(ささ)えたる余の心も、わが住む部屋のごとく 空(むな)しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの 気遣(きづかい)も 起(おこ)る。 戴(いただ)くは天と知る故に、 稲妻(いなずま)の 米噛(こめかみ)に 震(ふる)う 怖(おそれ)も出来る。人と 争(あらそ)わねば 一分(いちぶん)が立たぬと浮世が催促するから、 火宅(かたく)の 苦(く)は免かれぬ。東西のある 乾坤(けんこん)に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は 讎(あだ)である。目に見る富は土である。握る名と奪える 誉(ほまれ)とは、 小賢(こざ)かしき 蜂(はち)が甘く 醸(かも)すと見せて、針を 棄(す)て去る蜜のごときものであろう。いわゆる 楽(たのしみ)は物に 着(ちゃく)するより起るが 故(ゆえ)に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と 画客(がかく)なるものあって、 飽(あ)くまでこの 待対(たいたい)世界の精華を 嚼(か)んで、 徹骨徹髄(てっこつてつずい)の清きを知る。 霞(かすみ)を 餐(さん)し、露を 嚥(の)み、 紫(し)を 品(ひん)し、 紅(こう)を 評(ひょう)して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に 着(ちゃく)するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は 茫々(ぼうぼう)たる大地を 極(きわ)めても 見出(みいだ)し得ぬ。 自在(じざい)に 泥団(でいだん)を 放下(ほうげ)して、 破笠裏(はりつり)に 無限(むげん)の 青嵐(せいらん)を 盛(も)る。いたずらにこの境遇を 拈出(ねんしゅつ)するのは、 敢(あえ)て 市井(しせい)の 銅臭児(どうしゅうじ)の 鬼嚇(きかく)して、好んで高く 標置(ひょうち)するがためではない。ただ 這裏(しゃり)の 福音(ふくいん)を述べて、縁ある 衆生(しゅじょう)を 麾(さしまね)くのみである。 有体(ありてい)に云えば詩境と云い、画界と云うも皆 人々具足(にんにんぐそく)の道である。 春秋(しゅんじゅう)に指を折り尽して、 白頭(はくとう)に 呻吟(しんぎん)するの 徒(と)といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の 臭骸(しゅうがい)に 洩(も)れて、 吾(われ)を忘れし、 拍手(はくしゅ)の 興(きょう)を 喚(よ)び起す事が出来よう。出来ぬと云わば 生甲斐(いきがい)のない男である。 されど 一事(いちじ)に 即(そく)し、 一物(いちぶつ)に 化(か)するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は 一弁(いちべん)の花に化し、あるときは 一双(いっそう)の 蝶(ちょう)に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を 沢風(たくふう)の 裏(うち)に 撩乱(りょうらん)せしむる事もあろうが、 何(なん)とも知れぬ 四辺(しへん)の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは 那物(なにもの)ぞとも 明瞭(めいりょう)に意識せぬ場合がある。ある人は天地の 耿気(こうき)に触るると云うだろう。ある人は 無絃(むげん)の 琴(きん)を 霊台(れいだい)に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に ※※(せんかい)して、 縹緲(ひょうびょう)のちまたに 彷徨(ほうこう)すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、 唐木(からき)の机に 憑(よ)りてぽかんとした 心裡(しんり)の状態は 正(まさ)にこれである。 余は 明(あきら)かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ 恍惚(こうこつ)と動いている。 強(し)いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、 仙丹(せんたん)に練り上げて、それを 蓬莱(ほうらい)の 霊液(れいえき)に 溶(と)いて、 桃源(とうげん)の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ 間(ま)に 毛孔(けあな)から 染(し)み込んで、心が知覚せぬうちに 飽和(ほうわ)されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか 不分明(ふぶんみょう)であるから、 毫(ごう)も刺激がない。刺激がないから、 窈然(ようぜん)として名状しがたい 楽(たのしみ)がある。風に 揉(も)まれて 上(うわ)の 空(そら)なる波を起す、軽薄で騒々しい 趣(おもむき)とは違う。目に見えぬ 幾尋(いくひろ)の底を、大陸から大陸まで動いている ※洋(こうよう)たる 蒼海(そうかい)の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの 懸念(けねん)が 籠(こも)る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが 烈(はげ)しき力の 銷磨(しょうま)しはせぬかとの 憂(うれい)を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に 捕(とら)え難しと云う意味で、弱きに過ぎる 虞(おそれ)を含んではおらぬ。 冲融(ちゅうゆう)とか 澹蕩(たんとう)とか云う詩人の語はもっともこの 境(きょう)を切実に言い 了(おお)せたものだろう。 この 境界(きょうがい)を 画(え)にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ 眼前(がんぜん)の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に 漉過(ろくか)して、 絵絹(えぎぬ)の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の 能事(のうじ)は終ったものと考えられている。もしこの上に 一頭地(いっとうち)を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの 趣(おもむき)を添えて、画布の上に 淋漓(りんり)として 生動(せいどう)させる。ある特別の感興を、 己(おの)が捕えたる 森羅(しんら)の 裡(うち)に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が 明瞭(めいりょう)に筆端に 迸(ほとば)しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。 己(おの)れはしかじかの事を、しかじかに 観(み)、しかじかに感じたり、その 観方(みかた)も感じ方も、 前人(ぜんじん)の 籬下(りか)に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。 この二種の製作家に 主客(しゅかく)深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに 分明(ぶんみょう)なものではない。あらん限りの感覚を 鼓舞(こぶ)して、これを心外に物色したところで、方円の形、 紅緑(こうろく)の色は無論、濃淡の陰、 洪繊(こうせん)の 線(すじ)を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に 横(よこた)わる、一定の景物でないから、これが 源因(げんいん)だと指を 挙(あ)げて明らかに人に示す 訳(わけ)に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう―― 否(いや)この心持ちをいかなる具体を 藉(か)りて、人の 合点(がてん)するように 髣髴(ほうふつ)せしめ得るかが問題である。 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに 恰好(かっこう)なる対象を 択(えら)ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に 纏(まとま)らない。纏っても自然界に存するものとは 丸(まる)で 趣(おもむき)を 異(こと)にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。 描(えが)いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の 上(さ)した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を ※※(しょうきょう)しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の 績(いさおし)を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの 流派(りゅうは)に指を染め得たるものを 挙(あ)ぐれば、 文与可(ぶんよか)の竹である。 雲谷(うんこく)門下の山水である。下って 大雅堂(たいがどう)の 景色(けいしょく)である。 蕪村(ぶそん)の人物である。 泰西(たいせい)の画家に至っては、多く眼を 具象(ぐしょう)世界に 馳(は)せて、 神往(しんおう)の 気韻(きいん)に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に 物外(ぶつがい)の 神韻(しんいん)を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。 惜しい事に 雪舟(せっしゅう)、蕪村らの 力(つと)めて 描出(びょうしゅつ)した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが 画(え)にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。 頬杖(ほおづえ)をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした 吾子(わがこ)を尋ね当てるため、六十余州を 回国(かいこく)して、 寝(ね)ても 寤(さ)めても、忘れる 間(ま)がなかったある日、十字街頭にふと 邂逅(かいこう)して、 稲妻(いなずま)の 遮(さえ)ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと 罵(ののし)られても 恨(うらみ)はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の 曲直(きょくちょく)がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの 風韻(ふういん)のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、 厭(いと)わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が 帖(じょう)のなかへ落ち込むまで、 工夫(くふう)したが、とても物にならん。 鉛筆を置いて考えた。こんな 抽象的(ちゅうしょうてき)な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。 たちまち音楽[#「音楽」に傍点]の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に 逼(せま)られて生まれた自然の声であろう。 楽(がく)は 聴(き)くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている 境界(きょうがい)もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる 心裏(しんり)の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、 逓次(ていじ)に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が 来(きた)り、二が消えて三が生まるるがために 嬉(うれ)しいのではない。初から 窈然(ようぜん)として 同所(どうしょ)に 把住(はじゅう)する 趣(おもむ)きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を 按排(あんばい)する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる 景情(けいじょう)を詩中に持ち来って、この 曠然(こうぜん)として 倚托(きたく)なき有様を写すかが問題で、すでにこれを 捕(とら)え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に 進捗(しんちょく)する出来事の助けを 藉(か)らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を 充(み)たしさえすれば、言語をもって 描(えが)き得るものと思う。 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、 画(え)にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の 尖(と)がった所を、どうにか運動させたいばかりで、 毫(ごう)も運動させる 訳(わけ)に行かなかった。急に 朋友(ほうゆう)の名を失念して、 咽喉(のど)まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで 諦(あきら)めると、 出損(でそく)なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。 葛湯(くずゆ)を練るとき、最初のうちは、さらさらして、 箸(はし)に 手応(てごたえ)がないものだ。そこを 辛抱(しんぼう)すると、ようやく 粘着(ねばり)が出て、 攪(か)き 淆(ま)ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには 鍋(なべ)の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。 手掛(てがか)りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、 青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※蛸掛不動。篆煙繞竹梁。 と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り 易(やす)かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない 情(じょう)を、次には 咏(うた)って見たい。あれか、これかと思い 煩(わずら)った末とうとう、 独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※白雲郷。 と出来た。もう 一返(いっぺん)最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた 入(はい)った神境を写したものとすると、 索然(さくぜん)として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、 襖(ふすま)を引いて、 開(あ)け 放(はな)った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。 振袖姿(ふりそですがた)のすらりとした女が、音もせず、向う二階の 椽側(えんがわ)を 寂然(じゃくねん)として 歩行(あるい)て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。 花曇(はなぐも)りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の 欄干(らんかん)に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六 間(けん)の中庭を隔てて、重き空気のなかに 蕭寥(しょうりょう)と見えつ、隠れつする。 女はもとより口も聞かぬ。 傍目(わきめ)も 触(ふ)らぬ。 椽(えん)に引く 裾(すそ)の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに 歩行(ある)いている。腰から下にぱっと色づく、 裾模様(すそもよう)は何を染め抜いたものか、遠くて 解(わ)からぬ。ただ 無地(むじ)と模様のつながる中が、おのずから 暈(ぼか)されて、夜と昼との境のごとき 心地(ここち)である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な 装(よそおい)をして、この不思議な 歩行(あゆみ)をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。 逝(ゆ)く春の 恨(うらみ)を訴うる 所作(しょさ)ならば何が 故(ゆえ)にかくは 無頓着(むとんじゃく)なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは 綺羅(きら)を飾れる。 暮れんとする春の色の、 嬋媛(せんえん)として、しばらくは 冥※(めいばく)の戸口をまぼろしに 彩(いろ)どる中に、眼も 醒(さ)むるほどの 帯地(おびじ)は 金襴(きんらん)か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ 蒼然(そうぜん)たる夕べのなかにつつまれて、 幽闃(ゆうげき)のあなた、 遼遠(りょうえん)のかしこへ一分ごとに消えて去る。 燦(きら)めき渡る春の星の、 暁(あかつき)近くに、紫深き空の底に 陥(おち)いる 趣(おもむき)である。 太玄(たいげん)の ※(もん)おのずから 開(ひら)けて、この 華(はな)やかなる姿を、 幽冥(ゆうめい)の 府(ふ)に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。 金屏(きんびょう)を背に、 銀燭(ぎんしょく)を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの 装(よそおい)の、 厭(いと)う 景色(けしき)もなく、争う様子も見えず、 色相(しきそう)世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と 逼(せま)る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、 焦(せ)きもせず、 狼狽(うろたえ)もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を 徘徊(はいかい)しているらしい。身に落ちかかる 災(わざわい)を知らぬとすれば無邪気の 極(きわみ)である。知って、災と思わぬならば 物凄(ものすご)い。黒い所が本来の 住居(すまい)で、しばらくの 幻影(まぼろし)を、 元(もと)のままなる 冥漠(めいばく)の 裏(うち)に収めればこそ、かように 間※(かんせい)の態度で、 有(う)と 無(む)の 間(あいだ)に 逍遥(しょうよう)しているのだろう。女のつけた振袖に、 紛(ふん)たる模様の尽きて、是非もなき 磨墨(するすみ)に流れ込むあたりに、おのが身の 素性(すじょう)をほのめかしている。 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、 幻覚(うつつ)のままで、この世の 呼吸(いき)を引き取るときに、枕元に 病(やまい)を 護(まも)るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、 生甲斐(いきがい)のない本人はもとより、 傍(はた)に見ている親しい人も殺すが慈悲と 諦(あき)らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の 科(とが)があろう。眠りながら 冥府(よみ)に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を 果(はた)すと同様である。どうせ殺すものなら、とても 逃(のが)れぬ 定業(じょうごう)と得心もさせ、断念もして、念仏を 唱(とな)えたい。死ぬべき条件が 具(そな)わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と 回向(えこう)をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。 仮(か)りの眠りから、いつの 間(ま)とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった 煩悩(ぼんのう)の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、 穏(おだや)かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの 裡(うち)から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや 否(いな)や、何だか口が 聴(き)けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる 途端(とたん)に、女はまた通る。こちらに 窺(うかが)う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、 微塵(みじん)も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、 初手(しょて)から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、 蕭々(しょうしょう)と封じ 了(おわ)る。 七 寒い。 手拭(てぬぐい)を下げて、 湯壺(ゆつぼ)へ 下(くだ)る。 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は 御影(みかげ)で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、 豆腐屋(とうふや)ほどな 湯槽(ゆぶね)を 据(す)える。 槽(ふね)とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、 入(はい)り 心地(ごこち)がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も 臭(におい)もない。病気にも 利(き)くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ 這入(はい)る度に考え出すのは、 白楽天(はくらくてん)の 温泉(おんせん) 水滑(みずなめらかにして) 洗凝脂(ぎょうしをあらう)と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。 すぽりと 浸(つ)かると、乳のあたりまで 這入(はい)る。湯はどこから 湧(わ)いて出るか知らぬが、常でも 槽(ふね)の 縁(ふち)を奇麗に越している。春の石は 乾(かわ)くひまなく 濡(ぬ)れて、あたたかに、踏む足の、心は 穏(おだ)やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を 掠(かす)めて、ひそかに春を 潤(うる)おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく 繁(しげ)く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て 籠(こ)められた湯気は、 床(ゆか)から天井を 隈(くま)なく 埋(うず)めて、 隙間(すきま)さえあれば、 節穴(ふしあな)の細きを 厭(いと)わず 洩(も)れ 出(い)でんとする 景色(けしき)である。 秋の霧は冷やかに、たなびく 靄(もや)は 長閑(のどか)に、 夕餉炊(ゆうげた)く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の 憐(あわ)れはあるが、春の 夜(よ)の 温泉(でゆ)の曇りばかりは、 浴(ゆあみ)するものの肌を、 柔(やわ)らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を 一重(ひとえ)破れば、何の苦もなく、下界の人と、 己(おの)れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽 | |||||||||||||||